(夏旬夏)儀式

高校一年生の夏来が初めての感情に苛まれる話です。
※暗い
※付き合ってない
※夏来がかわいそう

夏来のエロスとアガペーに想いを馳せるのがマイブームだったのでつい書きました。ごめん……。

2026-01-17
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 電車の窓越しにびゅんびゅんと過ぎ去って行く景色の中に、夏来はまた桜を見つけた。小学校の校庭だろうか。この季節は決まって桜を目で追ってしまう。
(入学式のときに見た桜、まだ咲いてそう。また、ジュンと同じ通学路を歩ける。高校でもジュンと一緒になれて嬉しい。……)
「毎日同じ景色見てよく飽きないな」と昔から旬にはよく言われるけれど、ぼんやりと考え事をしながら通学電車の車窓を眺めるのが夏来は幼い頃から好きだった。
 夏来が窓から射す春の陽光に目を細めていると、急にがくん、と大きく車内が揺れて、バランスを崩した旬が夏来の方へと倒れ込んできた。
「うわっ……」
「! だ、大丈……夫?」
 真新しいブレザー越しに感じる旬の体重は軽く、体つきも華奢で、不意打ちを喰らった夏来の心臓はひそかに飛び出しそうになった。
「……平気。ナツキこそ大丈夫か?」
「うん、なんともない……よ」
「ごめん、本読んでてぼーっとしてた。急ブレーキか……」
「…………えっと、うん……そう、みたい……だね」
 文庫本を閉じて電車の外の様子を伺う旬の瞳は、くりくりとして愛らしい。顔全体の印象はきりっとしてかっこいいのに不思議だ、と夏来は思った。夏来の年相応に成長した身体の内側には、小柄な旬が倒れかかってきたときの感覚がまだじんわりと焼き付いていた。それはぞわぞわとして、胸の奥を掻きむしりたくなるほどくすぐったかった。
 夏来には車内アナウンスが何を言っていたのかも聞こえていなかったが、数分後に電車は何事もなく発車し、二人は何事もなく(しかしいつも以上に言葉少なに)桜の咲く通学路を歩いて始業時間の一〇分前に学校に到着し、何事もなく入学オリエンテーションは終わった。
 クラス分けのテストの時間になっても、夏来の身体には旬の小さな身体の重みの感触が残っていた。それは身体の表面からじわじわと夏来の内側に侵食してくるようだった。それでも(ジュンと別々のクラスになりたくない──)という一心で、夏来は身体の表面に残る旬の軽さと小ささの名残を振り切るように必死で答案用紙にかじりついた。そして、今日のテストが終わる頃にはすっかりへとへとになってしまった。
 大好きな旬の温もりの跡は意識すればするほど肌に焼き付いた。顔も名前もまだ覚えていないクラスメイト達に夏来が抱えている秘密がテレパシーで伝わってしまうのではないか……と、ついありえない妄想をして夏来は冷や汗をかいた。
 帰りの道でも電車でも、二人はいつも以上に言葉少なだったが、旬の方は特に気にも留めていないようで、電車の座席ではときどき本から顔を上げてうとうとしていた。今日はいつも以上に旬の些細な仕草が目についた。
(ジュン、小さいな)
 旬の背中の狭さを実感すると胸が潰れるような心地がして、夏来だけが非日常の中にいるようだった。
 旬の家の門の前でいつもの顔と声色をして別れると、夏来はため息をついてしばらくその場に立ちすくんでいた。しかし、旬の家の前で立ち止まっている間に胸の中に良くないものが降り積もっていくのを感じたので、慌ててそれを振り切るように早足で歩き出した。
 帰宅してブレザーだけを脱ぎ捨てると、夏来は自室のベッドに倒れ込む。
 夏来はもう何も考えたくなかったが自身の胸の内側を確かめずにはいられなかった。神聖な儀式を行うように、愛しい旬の顔を想像する。無防備に眠っている顔、あるいは夏来の何もかもを許すような優しげな顔(これを想像するだけで夏来は自分の行為に鳥肌が立った)。それでも、心の中にそびえ立つ壁が空想の中の旬に口づけることを拒む。これは生理的嫌悪感のようなものだろうか。
(そうだ、無理なんだ。やっぱりそうだ)(俺にとってジュンは、ジュンだ)
 世界で一番大切な人と自分は、絶対に侵せない壁に隔てられている。
 ずっと二人きりで一緒にいた夏来と旬が(主に旬への好意を隠さない夏来の言動が原因で)冷やかされたり妙な噂の的になったりしたことは一度や二度ではない。しかし、お互いのことを「そういう風に思ってない」という点で彼らは気が合っていた。
(そういう風に思ってない)(ジュンのこと、そういう風に思ってない)
 儀式のように夏来は想像してみる。抱きしめることだってできない。手をつなぐのだって、違和感がある。
(だから、大丈夫)
 今朝から身体の奥に巣食った違和感を握りつぶすのに伴って、夏来の目尻を涙が伝った。何も知らない旬のことを想うと申し訳なさでいっぱいだった。きっと、今の儀式は単なるその場しのぎにすぎないだろう。今はただその予感から目を逸らして眠りたかった。むずむずとした身体が誘う妙な空想を遮るために耳にイヤホンを挿してお気に入りのクラシックを聴く。楽器の音に意識を集中させる。
(ジュンとずっと一緒にいたい。ジュンとずっと一緒にいたい。……)
 きっと、その願いだけが本当のことだから。愛しい冬美旬という存在そのものを抱きしめるように毛布にすがりつきながら、暗い部屋の中で夏来は早く意識を失いたいと祈り続けていた。

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