おっ、と思わず声が出た。放課後、部室に向かおうとしていた春名のスマホに、少し妙なメッセージの通知が来ていたからだ。
(屋上で、待ってる……誰にも言わないで来て……どーなつ。ナツキから?)
珍しい相手からの個人宛のメッセージと呼び出し、それから語尾にドーナツの絵文字。春名は夏来に呼び出される心当たりなど何もなく、頭にハテナマークが浮かばないでもなかったが……。
(まぁ、頼られるって柄でもあんまりないけど、一応最年長だし、オレらの中じゃ消去法?)
わざわざ誰にも言わずに来いと言うくらいだから、何か大っぴらにしたくない話があるのかもしれない。ひょっとして旬とケンカでもしたのだろうか。旬はともかく、夏来がケンカなどとは春名にはあまり想像がつかなかったが、
(おお、わかった◎ 今から行く!)
と、よくわからないままに二つ返事で返信した。
期末試験も無事に通り過ぎたうららかな三月。いつもの部室に向かうルートを逸れて人気のない階段を上っていると、ふと春名の脳裏を嫌な予感がよぎった。
(まさかアイドルやめたい……なんて言わないよな?)
夏来はあまり前に出たがる方ではない。演奏の腕は確かだし、ルックスにも華があるが、そもそも春名には夏来がアイドルをやりたがるようなタイプには見えなかった。High×Jokerは今のところライブの仕事が多いが、この先ひょっとしたらバラエティ番組に出たり演技の仕事をすることになったりするかもしれない。バンド活動とはジャンルのかけ離れた仕事が不安……だったりするのだろうか。
(プロデューサーがオレたちのためにあれだけがんばってくれてる手前、「やめたい」なんて言いにくいよなぁ)
そう考えると階段を上る足取りが重くなる。屋上で夏来に何と声をかけてやればいいのだろうと思うと春名は胸がざわざわして落ち着かなかったが、その一方で、メンバー最年長として頼られているような気がするのはまんざらでもなかった。
短い階段を上るとすぐに最上階だ。夏来はもう来ているのだろうか。春名は覚悟を決めて扉を開け、屋上へ踏み込む。
「ナツキいるかー?」
返事はない。春名の声は雲ひとつなく晴れ渡った空に吸い込まれる。
「おーーーい!! ナツキーーー!!」
「ハルナ……これ……」
「うぉあ!」
心臓が跳ね上がるかと思った。ぬっ、と猫のようにどこからともなく姿を現した夏来がずい、と春名に手渡したのは、
「ドーナツ!! くれんの!?」
春名も行きつけのドーナツのチェーン店の紙袋だった。
「うん……。この前のお礼……だよ」
「お礼? オレ、ナツキになんかしたっけ?」
と言いつつ、春名はもう「いただきまーす♪」とドーナツの袋をがさごそ漁り出している。
「ふふ、屋上でドーナツくれたから……そのお礼」
「あー! なんかそんなことあったな!」
と言いながら、春名は早速ドーナツに手をつけ始めていた。さくらもちフレーバーの季節限定ドーナツは春の快晴の屋上で食べるとより一層おいしく感じられた。もちもちとした生地の食感に、和菓子のように上品な甘さと口の中に広がる桜の香りがたまらない……。
「……ん、ナツキは食わねぇの?」
「ハルナ、一個じゃ足りないかと思って……二個買ってきた。食べて、いいよ……」
「いやいや、独り占めするのもなんか悪いしさ、それにこういうのって分け合って食べた方が絶対おいしいだろ? な、一緒に食おうぜ?」
春名はそう言うと夏来にドーナツ屋の紙袋をずずいと薦める。袋の口からは季節限定の抹茶ドーナツの芳しい香りが漂ってくる……。
「……! じゃあ……俺も、食べよう、かな……」
夏来はおずおずとした手つきで、しかし俄然嬉しそうに袋を受け取って、プレゼントをもらった子どものように中をがさごそと漁る。そもそも夏来が買ってきてくれたものとはいえ、ここまで無邪気に喜ばれるとなぜか春名も気分が良かった。二人きりの屋上にはやわらかな陽光が降り注ぎ、じっと座っているのにぽかぽかと暖かい。
「あー! ドーナツすっげぇうまかった! ありがとな、ナツキ」
「どういたしまして……」
会話もそこそこに夏来は黙々と黒蜜入りの抹茶ドーナツをほおばる。その様子に、春名はいつかペットショップの店頭で見たハムスターを思い出した。
「そういえばさ、前にナツキがくれた、試験の問題予測のノートだけど……実は今、家に置きっぱなしで……。悪い! 後で絶対返すから!」
「……返さなくていいよ。試験が終わっても試験範囲の復習するように……って、ジュンが言ってた」
「おお……そりゃありがたいな……ってあれ、ジュンが作ったのか?」
「うん……。その……春名さんは特に危ないから、これ渡しといて、って……」
「ははは……何だそれ、自分で直接渡せばいいのに」
「……そうだね。それは、俺も、そう思う……」
「でも、そっかぁ。あのノートがなかったら今回すごいやばかったと思うし、後でちゃんとジュンにお礼言わなきゃだな」
「うん……。ジュン、本当はみんなのために何かできるの、嬉しいと思うから……お礼、言ってあげて……。それで……ジュンのノート……これからも勉強で使ってくれたら……俺も嬉しい」
「おっ、そこまで言われたらさすがにサボれないな! ……って、これもジュンに直接言った方がいいよな」
「うん、そうしてあげて……きっと、口には出さないけど、ジュン、喜ぶと思う……」
いつものポーカーフェイスをほのかにほころばせた夏来はやがてぼんやりと空に視線を移す。三月の空気はまだ冷たいが、陽の射す屋上ではそれも気持ち良くて、自然と顔がゆるむ。二人ともとっくにドーナツを完食して、でもなんとなくここから動きたくなくて、ぼんやり春の空を眺めていた。
「急に呼び出すからさー、何言われるのかと思ってちょっと緊張してたんだぜ?」
「緊張……?」
「だってさ、オレてっきりナツキが……その、ジュンとケンカでもしたんじゃないかと思ってさ!」
春名の言葉に夏来は目をぱちくりさせると、
「ジュンと俺は、ケンカ……しないよ」
「そっか。仲いいんだな」
「仲、いい……。そうだね……子どもの頃からずっと一緒だから……」
旬と自分を「仲がいい」と評された夏来は、花が咲いたようにぽわぽわとほほえむ。
「ふふふ……」
「ん? なーに笑ってんだよ、ナツキ」
「あ、これは、ただ…………こんなところで、内緒でおいしいもの食べてるの……ジュンやみんなに悪いなと思って……。そう思ったら、なんだか……おかしくなってきちゃって……」
「はは、なんかわかるぜ、その気持ち。一応、みんなにはこのこと内緒な」
「うん……」
季節限定ドーナツの甘い香りも春の澄んだ空気に霧散していく。今日、屋上でこっそりドーナツを分け合ったことは世界で誰も知らない二人だけの秘密になった。
「あ〜、人からもらうドーナツって何でこんなにうまいんだろな」
「やっぱり屋上で食べるの、おいしいね……」
「そうだな〜、今度はみんなで屋上ドーナツパーティーもいいな!」
「それ、いいね……楽しそう……」
「な! みんなで青空の下でドーナツ食べたら、いいフレーズも湧いてきそうだ!」
「ふふ、そうだ、ね…………あっ」
ふとスマホを手に取った夏来の顔がみるみる固まっていく。
「ハルナ、これ…………」
夏来は手に持ったスマホの画面をおずおずと春名の前に差し出す。
(春名さんもナツキも、一体どこで何してるんですか? 遅れるなら連絡ぐらい入れてください。)
(3人だけだとちょー寂しいっす! ミーティング先に始めちゃってるっすよ!)
(2人とも何かあったの? 大丈夫? 返信待ってるよ)
「うお、やっべ……もうこんな時間か」
「い、急がなきゃ……」
「そうだな〜、でもナツキのおかげでいい気分転換になったよ。……よし、これで証拠隠滅!」
と、春名は通学カバンの底にドーナツの袋を雑に押し込んだ。
「ドーナツの匂い……してないかな……」
「ま、その時はその時だ!」
あわてて屋上を飛び出した二人は部室のある階へと急いで階段を駆け下りる。隼人や四季ならともかく、夏来と二人で遅刻確定でダッシュしてるのはすごく変な感じだ、と春名は思った。旬には大目玉を食らうだろうけど、今日はこの状況すらなぜか笑えてくる。
「は、ハルナ、早い……待って……」
「この状況で待てるかっての!」
夏来の声が遠くなってきているが大人げなく全速力で部室に向かう。二人揃って息を切らして部室に着いたら、何と言い訳をすればいいだろう。春の陽光ですっかり温められた体がほんのり汗をかいて、二人は夢中で走った。
春の始まりのある放課後、ゆっくりと時間の流れる校舎で、二人が部室めがけて走る靴音だけが響いていた。
(屋上で、待ってる……誰にも言わないで来て……どーなつ。ナツキから?)
珍しい相手からの個人宛のメッセージと呼び出し、それから語尾にドーナツの絵文字。春名は夏来に呼び出される心当たりなど何もなく、頭にハテナマークが浮かばないでもなかったが……。
(まぁ、頼られるって柄でもあんまりないけど、一応最年長だし、オレらの中じゃ消去法?)
わざわざ誰にも言わずに来いと言うくらいだから、何か大っぴらにしたくない話があるのかもしれない。ひょっとして旬とケンカでもしたのだろうか。旬はともかく、夏来がケンカなどとは春名にはあまり想像がつかなかったが、
(おお、わかった◎ 今から行く!)
と、よくわからないままに二つ返事で返信した。
期末試験も無事に通り過ぎたうららかな三月。いつもの部室に向かうルートを逸れて人気のない階段を上っていると、ふと春名の脳裏を嫌な予感がよぎった。
(まさかアイドルやめたい……なんて言わないよな?)
夏来はあまり前に出たがる方ではない。演奏の腕は確かだし、ルックスにも華があるが、そもそも春名には夏来がアイドルをやりたがるようなタイプには見えなかった。High×Jokerは今のところライブの仕事が多いが、この先ひょっとしたらバラエティ番組に出たり演技の仕事をすることになったりするかもしれない。バンド活動とはジャンルのかけ離れた仕事が不安……だったりするのだろうか。
(プロデューサーがオレたちのためにあれだけがんばってくれてる手前、「やめたい」なんて言いにくいよなぁ)
そう考えると階段を上る足取りが重くなる。屋上で夏来に何と声をかけてやればいいのだろうと思うと春名は胸がざわざわして落ち着かなかったが、その一方で、メンバー最年長として頼られているような気がするのはまんざらでもなかった。
短い階段を上るとすぐに最上階だ。夏来はもう来ているのだろうか。春名は覚悟を決めて扉を開け、屋上へ踏み込む。
「ナツキいるかー?」
返事はない。春名の声は雲ひとつなく晴れ渡った空に吸い込まれる。
「おーーーい!! ナツキーーー!!」
「ハルナ……これ……」
「うぉあ!」
心臓が跳ね上がるかと思った。ぬっ、と猫のようにどこからともなく姿を現した夏来がずい、と春名に手渡したのは、
「ドーナツ!! くれんの!?」
春名も行きつけのドーナツのチェーン店の紙袋だった。
「うん……。この前のお礼……だよ」
「お礼? オレ、ナツキになんかしたっけ?」
と言いつつ、春名はもう「いただきまーす♪」とドーナツの袋をがさごそ漁り出している。
「ふふ、屋上でドーナツくれたから……そのお礼」
「あー! なんかそんなことあったな!」
と言いながら、春名は早速ドーナツに手をつけ始めていた。さくらもちフレーバーの季節限定ドーナツは春の快晴の屋上で食べるとより一層おいしく感じられた。もちもちとした生地の食感に、和菓子のように上品な甘さと口の中に広がる桜の香りがたまらない……。
「……ん、ナツキは食わねぇの?」
「ハルナ、一個じゃ足りないかと思って……二個買ってきた。食べて、いいよ……」
「いやいや、独り占めするのもなんか悪いしさ、それにこういうのって分け合って食べた方が絶対おいしいだろ? な、一緒に食おうぜ?」
春名はそう言うと夏来にドーナツ屋の紙袋をずずいと薦める。袋の口からは季節限定の抹茶ドーナツの芳しい香りが漂ってくる……。
「……! じゃあ……俺も、食べよう、かな……」
夏来はおずおずとした手つきで、しかし俄然嬉しそうに袋を受け取って、プレゼントをもらった子どものように中をがさごそと漁る。そもそも夏来が買ってきてくれたものとはいえ、ここまで無邪気に喜ばれるとなぜか春名も気分が良かった。二人きりの屋上にはやわらかな陽光が降り注ぎ、じっと座っているのにぽかぽかと暖かい。
「あー! ドーナツすっげぇうまかった! ありがとな、ナツキ」
「どういたしまして……」
会話もそこそこに夏来は黙々と黒蜜入りの抹茶ドーナツをほおばる。その様子に、春名はいつかペットショップの店頭で見たハムスターを思い出した。
「そういえばさ、前にナツキがくれた、試験の問題予測のノートだけど……実は今、家に置きっぱなしで……。悪い! 後で絶対返すから!」
「……返さなくていいよ。試験が終わっても試験範囲の復習するように……って、ジュンが言ってた」
「おお……そりゃありがたいな……ってあれ、ジュンが作ったのか?」
「うん……。その……春名さんは特に危ないから、これ渡しといて、って……」
「ははは……何だそれ、自分で直接渡せばいいのに」
「……そうだね。それは、俺も、そう思う……」
「でも、そっかぁ。あのノートがなかったら今回すごいやばかったと思うし、後でちゃんとジュンにお礼言わなきゃだな」
「うん……。ジュン、本当はみんなのために何かできるの、嬉しいと思うから……お礼、言ってあげて……。それで……ジュンのノート……これからも勉強で使ってくれたら……俺も嬉しい」
「おっ、そこまで言われたらさすがにサボれないな! ……って、これもジュンに直接言った方がいいよな」
「うん、そうしてあげて……きっと、口には出さないけど、ジュン、喜ぶと思う……」
いつものポーカーフェイスをほのかにほころばせた夏来はやがてぼんやりと空に視線を移す。三月の空気はまだ冷たいが、陽の射す屋上ではそれも気持ち良くて、自然と顔がゆるむ。二人ともとっくにドーナツを完食して、でもなんとなくここから動きたくなくて、ぼんやり春の空を眺めていた。
「急に呼び出すからさー、何言われるのかと思ってちょっと緊張してたんだぜ?」
「緊張……?」
「だってさ、オレてっきりナツキが……その、ジュンとケンカでもしたんじゃないかと思ってさ!」
春名の言葉に夏来は目をぱちくりさせると、
「ジュンと俺は、ケンカ……しないよ」
「そっか。仲いいんだな」
「仲、いい……。そうだね……子どもの頃からずっと一緒だから……」
旬と自分を「仲がいい」と評された夏来は、花が咲いたようにぽわぽわとほほえむ。
「ふふふ……」
「ん? なーに笑ってんだよ、ナツキ」
「あ、これは、ただ…………こんなところで、内緒でおいしいもの食べてるの……ジュンやみんなに悪いなと思って……。そう思ったら、なんだか……おかしくなってきちゃって……」
「はは、なんかわかるぜ、その気持ち。一応、みんなにはこのこと内緒な」
「うん……」
季節限定ドーナツの甘い香りも春の澄んだ空気に霧散していく。今日、屋上でこっそりドーナツを分け合ったことは世界で誰も知らない二人だけの秘密になった。
「あ〜、人からもらうドーナツって何でこんなにうまいんだろな」
「やっぱり屋上で食べるの、おいしいね……」
「そうだな〜、今度はみんなで屋上ドーナツパーティーもいいな!」
「それ、いいね……楽しそう……」
「な! みんなで青空の下でドーナツ食べたら、いいフレーズも湧いてきそうだ!」
「ふふ、そうだ、ね…………あっ」
ふとスマホを手に取った夏来の顔がみるみる固まっていく。
「ハルナ、これ…………」
夏来は手に持ったスマホの画面をおずおずと春名の前に差し出す。
(春名さんもナツキも、一体どこで何してるんですか? 遅れるなら連絡ぐらい入れてください。)
(3人だけだとちょー寂しいっす! ミーティング先に始めちゃってるっすよ!)
(2人とも何かあったの? 大丈夫? 返信待ってるよ)
「うお、やっべ……もうこんな時間か」
「い、急がなきゃ……」
「そうだな〜、でもナツキのおかげでいい気分転換になったよ。……よし、これで証拠隠滅!」
と、春名は通学カバンの底にドーナツの袋を雑に押し込んだ。
「ドーナツの匂い……してないかな……」
「ま、その時はその時だ!」
あわてて屋上を飛び出した二人は部室のある階へと急いで階段を駆け下りる。隼人や四季ならともかく、夏来と二人で遅刻確定でダッシュしてるのはすごく変な感じだ、と春名は思った。旬には大目玉を食らうだろうけど、今日はこの状況すらなぜか笑えてくる。
「は、ハルナ、早い……待って……」
「この状況で待てるかっての!」
夏来の声が遠くなってきているが大人げなく全速力で部室に向かう。二人揃って息を切らして部室に着いたら、何と言い訳をすればいいだろう。春の陽光ですっかり温められた体がほんのり汗をかいて、二人は夢中で走った。
春の始まりのある放課後、ゆっくりと時間の流れる校舎で、二人が部室めがけて走る靴音だけが響いていた。