小気味良く丸をつけていた赤ペンの音がぴたっと止まる。
「四季くん、ここの解答ですが……」
「うっ」
四季がもう首根っこを掴まれたような顔をすると、
「どうして2番だと思ったんですか? 説明してみてください」
「あっ、やっぱり1番! 1番だと思ってたっす!」
「……2番で合ってますけど」
呆れた、と瞳で語る旬に四季が慌てて食い下がる。
「!? ひ、ひっかけはヒキョーっすよ!」
「失礼な……ちゃんと設問の意味を理解しているか、確認しようとしただけです。まあ、四季くんはそもそも今の単元以前の基礎知識が全然なってない……ということが改めてわかったので結果的には良しとしましょう」
「そんなぁ……」
すっかり熱が入った旬の講義が、今の夏来にはなんだか微笑ましい。ほどほどにしとけよー、と隼人が苦笑する。
「とにかく、四季くんに相関係数の定義を理解してもらうまで今日は帰しませんからね!」
わーん!と四季の大仰な悲鳴が軽音部室に響いた。
「あー、スイッチ入っちゃってんなー」
春名が他人事のようにのんきに笑う。
「ジュン、すごく真剣だね……」
旬が赤ペンでルーズリーフに解説を書き込んでいる。かりかり。忙しく紙の上を走る音がする。
(師走……)
幸せな音だ、と夏来は思った。
(ジュンが誰かのためにあんな風に熱くなるなんて、知らなかった)
ずっと、幸せは猫の形をしていると思っていた。どんなときでも、ずっとずっとジュンのそばに寄り添える完璧な猫になれたら、と思っていた。どんな鳴き方をすればいいだろう、頼りなく細すぎない、それでいて不遜な印象を与えるほど太すぎない、完璧な声で。
でも、現に幸せはルーズリーフの上を走る赤ペンの音をしていた。かりかりと、神経質な音。後輩を想う一生懸命な音。
(俺は、ジュンに何をあげられるのかな)
シキはジュンから逃げ出さないし、ジュンもシキを見捨てない。きっとそれをお互いに感じているのだろう。
(ちゃんと、考えなくちゃ)
ふと、こんな時間に、音楽室からたどたどしいピアノの音が聞こえてきた。生徒の誰かが奏でるそのメロディーは、夏来にも聞き覚えがあった。小学生の頃にクラスで流行っていたアニメの曲だ。
「うわ、この曲懐かしー!」
「あーなんかすげー聴いた記憶あるな。何だっけ」
「有名な曲、なんですか」
四季の宿題のドリルから顔を上げないまま、旬はそうつぶやいた。
つっかえつっかえのピアノの音をぼんやり聞きながら、あのアニメを小学生のジュンに見せてあげたかったな、と夏来は考えた。ああいうの、ジュンは興味ないとあの頃は思ってたけど、今思えば案外気に入るんじゃないか、そうしたら、それがきっかけでクラスメイトとも仲良くなったりして……
(そうじゃ、なくて)
夏来は冷たい窓の外に目をやる。17時でもう真っ暗なのには、まだ慣れない。
(考えなくちゃ)
「ナツキ」
ふと旬に呼びかけられて、夏来は窓から視線を戻す。
「僕は四季くんとしばらく残るから、先帰ってていいぞ」
「……まだ、最終下校まで時間あるし……待ってるよ」
「そう」
いつのまにか音楽室のピアノの音は止んでいた。セミの声みたいだ、と夏来は思った。
くどくどとまくしたてられる旬の数学講義はまだまだ終わる気配がない。
これからの旬にたくさんの幸せが降りそそぐよう祈りを込めて、夏来はベースを取り出すと黙々とクロスで磨き始めた。
「四季くん、ここの解答ですが……」
「うっ」
四季がもう首根っこを掴まれたような顔をすると、
「どうして2番だと思ったんですか? 説明してみてください」
「あっ、やっぱり1番! 1番だと思ってたっす!」
「……2番で合ってますけど」
呆れた、と瞳で語る旬に四季が慌てて食い下がる。
「!? ひ、ひっかけはヒキョーっすよ!」
「失礼な……ちゃんと設問の意味を理解しているか、確認しようとしただけです。まあ、四季くんはそもそも今の単元以前の基礎知識が全然なってない……ということが改めてわかったので結果的には良しとしましょう」
「そんなぁ……」
すっかり熱が入った旬の講義が、今の夏来にはなんだか微笑ましい。ほどほどにしとけよー、と隼人が苦笑する。
「とにかく、四季くんに相関係数の定義を理解してもらうまで今日は帰しませんからね!」
わーん!と四季の大仰な悲鳴が軽音部室に響いた。
「あー、スイッチ入っちゃってんなー」
春名が他人事のようにのんきに笑う。
「ジュン、すごく真剣だね……」
旬が赤ペンでルーズリーフに解説を書き込んでいる。かりかり。忙しく紙の上を走る音がする。
(師走……)
幸せな音だ、と夏来は思った。
(ジュンが誰かのためにあんな風に熱くなるなんて、知らなかった)
ずっと、幸せは猫の形をしていると思っていた。どんなときでも、ずっとずっとジュンのそばに寄り添える完璧な猫になれたら、と思っていた。どんな鳴き方をすればいいだろう、頼りなく細すぎない、それでいて不遜な印象を与えるほど太すぎない、完璧な声で。
でも、現に幸せはルーズリーフの上を走る赤ペンの音をしていた。かりかりと、神経質な音。後輩を想う一生懸命な音。
(俺は、ジュンに何をあげられるのかな)
シキはジュンから逃げ出さないし、ジュンもシキを見捨てない。きっとそれをお互いに感じているのだろう。
(ちゃんと、考えなくちゃ)
ふと、こんな時間に、音楽室からたどたどしいピアノの音が聞こえてきた。生徒の誰かが奏でるそのメロディーは、夏来にも聞き覚えがあった。小学生の頃にクラスで流行っていたアニメの曲だ。
「うわ、この曲懐かしー!」
「あーなんかすげー聴いた記憶あるな。何だっけ」
「有名な曲、なんですか」
四季の宿題のドリルから顔を上げないまま、旬はそうつぶやいた。
つっかえつっかえのピアノの音をぼんやり聞きながら、あのアニメを小学生のジュンに見せてあげたかったな、と夏来は考えた。ああいうの、ジュンは興味ないとあの頃は思ってたけど、今思えば案外気に入るんじゃないか、そうしたら、それがきっかけでクラスメイトとも仲良くなったりして……
(そうじゃ、なくて)
夏来は冷たい窓の外に目をやる。17時でもう真っ暗なのには、まだ慣れない。
(考えなくちゃ)
「ナツキ」
ふと旬に呼びかけられて、夏来は窓から視線を戻す。
「僕は四季くんとしばらく残るから、先帰ってていいぞ」
「……まだ、最終下校まで時間あるし……待ってるよ」
「そう」
いつのまにか音楽室のピアノの音は止んでいた。セミの声みたいだ、と夏来は思った。
くどくどとまくしたてられる旬の数学講義はまだまだ終わる気配がない。
これからの旬にたくさんの幸せが降りそそぐよう祈りを込めて、夏来はベースを取り出すと黙々とクロスで磨き始めた。