(春夏)つまるところは◎

Pixivに上げてなかった話の再録です。

春夏 with ジュン、LOVE…

2026-02-17
 問題集を解いていた春名の背中がぞくり、と震えたのを、旬は不審そうに見やった。
 七月の真夏日の軽音部室。春名のその仕草はまるで、真冬の通学路にいるように見えた。
「冷房の温度、上げましょうか」
「んー……あぁ、平気平気」
 旬は春名の言葉を無視して席を立ち、パネルを操作してエアコンの温度をぴっ、と一度上げた。
「いいって言ってんのにー」
「震えてたじゃないですか。強がらないでください」
「あ、あー……まあな。悪いなー、ジュン」
「……あの、本当に大丈夫なんですか? この後はダンスレッスンに合流する予定ですし、体調が悪いなら今日は無理せずさっさと帰った方が……。春名さん、なんだか顔も赤いですし……その、心配です」
「へ……」
「保健室、行きましょうか? 念のため体温だけでも計ってきて……」
 しおらしい顔をして本気で春名の体調を心配している様子の旬を見て、春名はとうとう観念した。
「あ、あー! わかったわかった! もうわかったから!」
「ほら、やっぱり顔が真っ赤……」
「……その、さすがにジュンには言っておかなきゃ、だよな」
 真っ赤な顔で口を尖らせて窓の外を見つめながら、春名はぽつりとつぶやいた。
「?」
「あー……うーん……えーっと、話せることと話せないことがあるのはご了承願いたいんですケド……」
「何の話ですか?」
「……ナツキの話」
「……何でナツキが出てくるんですか」
 ナツキ、の名前を出した途端、春名の顔がじわり、と熱を持つ。それは旬にも一目瞭然だった。
「だ、だからさー! なんつーか、その……正直ちょっとヘンだっただろ? 今日のオレ」
「え……あ、はい。言われてみれば……確かにすごく挙動不審でした」
「い、言い方よ……」
「挙動不審でした」などと真面目な顔で切って捨てられて、春名はへにゃりと笑った。
「ん、えーと、だからさ……。あー、もうどこから説明すればいいのかなー……」
 そう頭を抱える春名を見て、旬の胸になんとなく、確信のようなものが芽生えた。
「春名さん、ナツキと付き合ってるんですか」
「!? ち、違う違う! それは絶対にねーから!!」
「じゃあ、片想い……」
「っ、それも……違うけどさー……」
 ナツキへの感情が恋に近しいことを認めてしまったような口ぶりの春名に対して、旬はあくまで落ち着き払った様子だった。
「……別に、僕は責めたりしませんよ」
「……何が」
「ナツキと春名さんの間に……何があるのかは知りませんけど、……あるんですよね。何か」
「お、おう」
 旬に突然踏み込まれて、春名の心臓が激しく跳ねる。
「その、僕は……春名さんといて、そういうことになるのはいいことだと……思うんです。ナツキにとって」
「な、なんか、すげー勘違いされてる気がするんだけど……」
 冷や汗をかく春名の顔を見ながら、旬は遠い目をして柔らかく笑う。
「春名さんといるときのナツキ、とても楽しそうじゃないですか」
「えー、そうかあ?」
「はい」
 旬は春名に向き直ると、
「……ですから、春名さん。ナツキのこと、よろしくお願いします」
まっすぐな目でそう告げた。
「僕にはできることとできないことがあって……。僕にできないことが、春名さんにはできると思う」
「ジュン……」
「だから……ナツキのこと、大切にしてやってください……なんて、わざわざ言う必要ないですね」
「ん……でも、本当に何もないんだってば。付き合ってください、なんてオレも言ってないし、ナツキからも言われてないし……本当に、ジュンが想像してるようなこと、なんにもないの」
「本当に?」
「本当だって」
「ふーん……。まあ、一応は信じますけど……」
「何だよその妙に引っかかる言い方は……」
「春名さんは、ナツキに……僕たちみんなに、優しい人ですから。だから、春名さんとナツキの関係が実際どうかなんて、僕にとっては些細なことです」
 旬はこほん、と咳払いすると、
「ナツキに楽しいこと、たくさん教えてあげてください。優しくしてあげてください。……春名さんなら、きっとナツキにそうしてくれますよね。……それを僕は望んでいるんです。だから、僕が春名さんに口を出すことなんて、本当は何もないんです」
 そう言ってほほえんだ旬の顔があまりにも柔らかかったから、春名は一瞬、息を呑んだ。
「うん、大切にする。ナツキのこと。ジュンの大事な親友だもんな」
「はい。くれぐれもよろしくお願いしますね。それと……」
「ん?」
「今言ったこと、ナツキには絶対言わないでください」
「えー? 言ったら喜ぶと思うけどなあ」
「……絶対にやめてください」
 ぷい、とそっぽを向いた旬は「飲み物を買ってきます」と言って、何食わぬ顔でそそくさと部室を出て行った。
 手持ち無沙汰になった春名は、すっかり火照った顔を下敷きであおいだ。ヒートアップしていた頭が冷えていくようで気持ちがいい。
(……さっきジュンから言われた言葉を大切にしよう。ナツキを絶対幸せにしよう)
と、春名は紙皿の上に放ったらかしにされていたチョコドーナツに誓った。いつもより味わって食べたチョコドーナツの濃ゆい甘さに、夏来のことを思った。どっしりとしたほろ甘い生地の食感に、じんわりと胸が満たされていく。
 そうか、これがそうなんだ、と思った。
 かじりかけのドーナツの穴を通して窓の外を見る。青空を見る。ドラムセットを見る。四季のくまっちクッションを見る。
……戻ってきた旬と、ドーナツ越しに目が合う。
「春名さん、遊んでる場合じゃ……」
「わかった! わかったぞジュン!」
「は?」
「この気持ちって、つまり……ドーナツなんだろうな」
「すみません、突然言われても意味が全く理解できません」
「ナツキのことと、ジュンから言われたことさ。要するにドーナツだよなー、って」
「は、はあ……」
「きっとさ、ドーナツ食うたびに今日ジュンに言われたこと思い出すと思うんだよな、オレ」
「それじゃあ毎日じゃないですか」
 旬は苦笑して、缶コーヒーのプルタブを開ける。
「さあ、勉強に戻りますよ。最低でもここの単元の復習は今日中に終わらせないと……。これからさらに忙しくなりますし」
「うっ、ガンバリマス……」
「はい。期待していますよ」
 笑ってそう言った旬の声が、ああ、ドーナツだなあと感じた。優しくて、心を幸福感に委ねたくなる、そんな声。それは、どっしりと甘くて重たいドーナツだ。
 そうして、春名はくすぐったい幸福の味を胸に感じつつも、しゃんと腕まくりをして、問題集の上の数式へと集中力を向け直していくのだった。
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